それぞれに 風の色あり 小豆島

小豆島拇岳とハーフマラソン
1999.11.26.〜28.

"登る"ということと"走る"ということ
 "走る"ということは、全てのスポーツの源であることは理解していたつもりだが、ただそのことだけをピックアップして、表舞台に上げる気持ちなど、さらさらなかったし、縁遠い夢物語のように思っていた。それなのにいつのまにか、一度ぐらいは走ってみようかな〜という好奇心が芽生えてしまい、環境という恐ろしさをしみじみ感じていた。
 しかし、現実にトレーニングを始めたのは、申し込み終えてからであり、また走ってばかりいると、ロックガーデンでの冬山トレーニングはボッカがしんどくて、あっちもこっちもできないよォ〜というハメに落ちてしまった。でもまぁ、11月28日までは・・・と区切りをつけて、自分なりにやってみよう、それからのことは走ってみてから考えようと、余計なことは頭に入れぬよう努めた。

11月26日(金)
 JR森ノ宮駅より、I信車とT関車に分かれて姫路をめざす。神戸ポートタワー、明石大橋のイルミネーションが目を楽しませてくれる。
 23:00 姫路港の神社横でテントを張り、少しの宴の後、就寝。

11月27日(土)
 6:00 テントを片付け、フェリー乗り場へ車を並べる。
 昨夜、神社横にテント1張、先客があったが、K畑さんが中級卒業生を連れての4人パーティだった。私も昨年春、中級同級生と一緒にK畑さんに連れられて、拇岳を登ったっけ。私にもあのような時があって、あのような時があったからこそ、今、こうして会の人達と一緒に登りにくることができている。
 7:15 フェリーの中では、すぐまた仮眠。この数日間の睡眠不足を解消しないと・・・
 9:00 福田港より橘へ向かう。I信先生は我々を下ろして、のんびりなさるそうだ。早速、登攀具を身につけ、取り付きまで一登り。私はN川さんと「赤いクラック」を登ることとなった。あまりトレーニングしていないという思いが頭をかすめるけど・・・
 1P N川さんは「んじゃん」しようとおっしゃる。この登攀用語は私には理解できなかったが、1P目はT関さんのルート図でX級となっていて、トップを遠慮申し上げる。クラックは斜めに、重心は真下に、岩にかじりつくように登る。
 2P 正式の1P目をリードする。直上してから、右のピンをとるのにトラバースしようとしたら、左足がブルブル震えてきた。こんな震えは何年ぶりだろうという感じで、暫く休んでも止まらない。仕方なく、上にいるT関さんよりザイルを下ろしてもらう。
 3P A0でフェースを登り、左へトラバース。
 4P N川さんに「ここは3つ目のピンまで人工で登って」とアドバイスいただき、凹角をアブミで登って、木をくぐって小テラスへ。
 5P スラブヲトラバース。
 6P 「ピンが岩の陰で見えにくいけど、よく探して」とまたまたアドバイスをいただき、右のフェースからブッシュへ。少しスラブを登って、大テラスへ。
 7P 左の岩へ回り込んで、頂上へ。15:00終了。
 少し雲っているが、紅葉の山々と光る海に浮かぶ船がなんとも言いがたく、とてもすがすがしい。でも風は肌寒かった。
 クライムダウンから落葉の中の毒々しい赤ペンキに従い、林道へ。16:00
 えらく時間がかかってしまった。2P目(1P目後半)では、「アッ、また情けないことになってしまった」と落ち込んだけれど、その後、よく懲りないでよく我慢していただき、登らせてもらったおかげで、最後まで楽しくクライミングできました。1つしか持っていないフレンズも使えたし、危ういハーケンにシュリンゲをかけて登る勉強もできたし、どうもありがとうございました。もう少し落ち着けば、岩をもっとよく見て登れると思うので、懲りないでよろしくお願いいたします。
 "つるべ落としの秋の夕暮れ"のごとく、せわしく土庄に向かう。明日、走る道を通るが、かなりのup downがあるよ。右手に大きな観音様を拝んで、土庄消防署グラウンドへ。
 すでにI信先生とM本ご夫妻が買い出し、そして鍋料理を作って下さって、暖かいテントの中で、早速よばれる。
 明日、走る仲間達も集まり、何もかもが初めての私には、目を白黒させて、耳を大きく開く。また、山と違う仲間に出会えた。明日をめざしてトレーニングしてきたという意気込みがビンビン伝わってきて、こういう中にいることを、とてもうれしく思う。
 中山竹通氏の講演会があるというので、少々眠いが聞きに行く。途中、やはり眠ってしまったようだが、好奇心onlyで走ろうとする私には少々耳の痛い話だった。また、同じ三重県出身者として、瀬古君の話も同様だった。

11月28日(日)
 6:30 起床。朝食はどのくらいとればいいのかもわからないまま、パン食なので、日常のごとく、オープンサンドをいただく。
 このグラウンドで準備運動をする人が多く、花火も上がる。
 9:40 フルマラソンより10分遅れて、ハーフマラソンスタートとなる。人数が多いので、将棋倒しにならないように気をつけていたが、皆紳士的であった。
 こんなに最初から頑張ってもいいのかな〜と思いながら、流れに乗っていると、N川さんが追い抜かれていかれた。
 街を抜けると上り坂になり、前を見ると、すごく上まで人の波が続いている。こんなの山岳マラソンじゃないの〜? 海沿いはキラキラ光ってきれいだけど、かぜはかなり強い。
 今日は薄暗い中、1人で走っているのではなく、明るい中、同じような仲間と走っている。私の3倍ぐらいはある大きな男性がゼイゼイ言いながら走っていたり、ペチャクチャにぎやかに話しながら走る人もいれば、かなり高齢だろう人もいらした。人それぞれの思いで、人生いろいろと感じる場面だった。
 また上って下って、また上り。やがてトップの中山さんが折り返してくる。ヘェ〜。
 折り返し点で黄色いリボンの輪ゴムをもらって、やっと半分。足の裏にマメができたようで痛い。
 「歩いてはダメ、歩いてはダメ」と自分に言い聞かせて、給水のところにくると、ついつい歩いて、アクエリアスをいただく。ふくらはぎが突っ張るので、置いてあるスプレーを吹き付けると、少しマシになる。
 「これが最後の上りだから」と言い聞かせて、走っているのか、歩いているのか、わからないスピードで上り坂を行く。皆スイスイ追い越してゆくが、全くついてゆけない。一旦歩くと足がケイレンしそうで、怖くて歩けない感じになる。こんな状態は生まれて初めての体験。
 「あと2km」「あと1km」という看板が見えると、「完走できる・・・」と思い、少し元気になる。
 2時間10分位かな・・・と思ってゴール。ミス・オリーブがタオルをかけてくれて、差し出されたアクエリアスをもらって、暫くボォ〜としていたようだ。ゴールしたら、足が動かなくなるんじゃないかと思っていたが、まだ立って歩いている。人の流れに沿って歩いていくと、緑色のソーメンの列だった。
 「皆のところへ帰ろう」と思って、グラウンドを探す。テントに戻ったら「早く着ないとダメ」と言われてしまう。案の定、風邪をひいてしまった。
 入浴してお弁当をいただき、テントを片付けて暫くすると、フルマラソンのI信先生が帰っていらっしゃった。「すごいな〜フルマラソンなんて」皆、拍手で先生を迎えた。
 まだ順々と帰ってらっしゃるので、内海周りで福田港へ。
 フェリー出発(17:15)まで時間があるので、N川さんたちは釣りを・・・ 大きなボラを刺身にしてくれて、フェリーの中でいただいた。ツルッとしておいしかった。

 足の痛みはまだ続きそうだが、あの時、どうしてもっと頑張れなかったんだろう・・・なんて、全く思わなかった。これ以上はできない。これが今の私の精一杯なこと。
 とにかく、無我夢中に突進していった2日間だった。もう少し、じっくり岩を見て、もう少しトレーニングして、ランニングシューズを買って、また登って走ってみたいと思う。

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