一望の キナバル山は 雲の上

2012.11.13.〜19.

 この山行計画は10月のミーティングで突然聞かされた。
 「エッ?!海外?!キナバル?!」
 「どうするんや!キャンセルはできへんで!」
 「行きます!行きます!」
 「少し高いデンヂャラスコースしかあらへんで!あかんかったら一旦解散や!アッ、取りこし苦労やったわ〜」
 「???、とにかく全部お任せします!よろしくお願い致します!」

 なんかようわからへんとこもあるけど、なによりも私自身、今は昨年より行ける状況にある。半年後、来年とかいっていたらもうわからない現実がある。
 パスポートは切れていたので、即写真館へ。それでも県庁まで行かなくてもよく、10日ほどでできた。マレーシアはビザ不要。指示通りにチケットをトルノスでネット購入。
 海外の山へ行くからといって、なにか新しく購入する時間の余裕も、またワクワクする気持ちの余裕も無かった。今まで持っているものを寄せ集めて、最低限忘れ物をしないように気をつけるだけだった。
 そして、あっという間に当日がやってきた。

秋風や ただそれだけの 旅心


11月13日(火)くもり
 5:30 関空11時発といっても始発電車に乗り込む。まだ暗かった。
 今日は平日なので、近鉄本線ではラッシュの時間。上本町から順調に関空行きのバスに乗り込めた。
 8:30 集合には余裕があった。マレーシア航空は手荷物持込10kgまでOK!機内持込できるとやはり安心。
 トルノスから印刷したeチケットを航空券と引き換える。往路しか引き換えない。復路は復路。
 シャンプーや化粧水をジップロックに入れておいたが、別に調べられることなく手荷物検査は終わった。
 モノレールに乗って搭乗口へ。出国検査も順調に終わった。免税店をウロウロ、今買っても山に持って上がらなければならないので、見てるだけ〜

 11:00 離陸時の気圧からの耳の変調は今回はなかった。飛行機内はかなりの空席があり、座席変更もでき、また真ん中の4席で足を伸ばして横になっている人もいた。窓側2席でいつものように横になって熟睡できた。
 昼食とおやつが機内食。機内食がこんなにおいしいなんて〜

 17:05 マレーシア時間は日本より1時間遅いだけなので、時差ぼけもなく、夕暮れていくクアラルンプールに到着。高度を下げられると少し耳が痛かった。プランテーションで規則正しく植えられたアブラヤシの木々や赤茶色の地肌を見せた畑が見下ろせた。南国気分に急展開!

 だだっ広い空港内でウロウロ。ラッキーにも同乗の日本人CAに会い、案内されて無事入国手続きを済ませ、空港内を移動。

 19:00 真っ暗の中、飛行機は飛び立ち、機内食の夕食を終える頃、コキタナバルに到着。
 21:35 ホテル(ザ クラウン ボルネオ)のお迎えあり、すぐ車に乗り込む。やはりこちらは夏!
 シングルでもダブルベッドで、シャワー、トイレは透明ガラス張り!?
 またまたラッキーにもホテルのお向かいがコンビニ! 早速ビールを仕入れて乾杯!

11月14日(水)晴れ
 雨季なのに青空広がっている。
 300円の朝食は10枚切りパンとスクランブルエッグとウインナー。コーヒーはインスタント。
 やはり外はジワジワ暑い〜でもあまり日本の梅雨のような湿気は感じなかった。
 「アッ!キナバル!」
 独特の山の形が遠くに見えた。と指をさすと、道行くおそらくイスラム教徒であろう人に睨まれてしまった。イスラムでは人差し指でさしてはいけない、その人を指した訳ではないが、誤解されるような行動は慎まなければいけないと反省。
 横断歩道が全く無い。ここは自動車優先世界。ビュンビュン飛ばしているので、横断するのにもかなりの注意を要し、サッと走って渡る。返って注意に注意するからいいのかも?
 その上、排気ガスがものすごい。街中が排気ガスで靄がかかっている感じがする。
 8:30 そんな中、歩いて歩いて、州立モスクへきた。

 まだ開館していなかったが、自由に人が出入りしているので、覗いてみる。

 靴を脱いで見渡していると、このモスクの人らしき人がきて、スカーフで頭を隠すように言われる。そして案内してくださったのだが、「10GM」と要求された。ガイドブックでは無料と書かれていたが、3人で30GM支払った。
 神聖な場所に観光見物で来たのだから、寄付のつもりで・・・写真撮影も許可してくれたし、私個人は一度見ておきたかったので。

 それからガンガン太陽照る中、排気ガスの中、歩いて歩いて。
 ゴミが浮いているどぶ池の上に、木造の高床式住居があり、今にも倒れそうだけど・・・その反対側は、鉄筋のビル工事が進んでいる。
 10:00 暑くてたまらないので、セブンイレブンで缶コーヒーを買って、東屋で一休憩。

 ワリサンスクエアショッピングセンターに入って、涼しい中でホッ! でもトイレは有料で便座も濡れていてベチャベチャ。水を出すホースがあり、イスラムでは水で便座も洗うのかしら?
 最後の日に宿泊するホテル(ル メリディアン コタキナバル)まで来た。ここのきれいな濡れていないトイレをお借りしてホッ!

ボルネオの 風に包まれ ここは夏
 海岸に出ると、熱帯の青い海風がやさしい。振り返ると、りっぱな高層ホテルとその横にトタン屋根の土産物屋。歩道には大きなネズミの死骸がドタッ。溝からはドブのような異臭がツーン。この格差は・・・

 12:00 ウォーターフロントで昼食。
 海老と蟹をかぶりつき、ビールで乾杯!

 トタン屋根の土産物屋に寄る。乾物屋の匂いがすごくて近寄れない。でも、イスラムの可愛い女の子の販売しているマグネットがいいな〜
 帰りはタクシーで連泊のホテルへ。
 お向かいのコンビニでビールを仕入れて、日本から持ってきたおつまみで、部屋にて乾杯! 外で食べるよりこれが一番落ち着く。結局こうなっちゃうのよね〜

11月15日(木)曇りのち雨
 6:15 手配してくれたワゴン車が迎えに来てくれる。海岸通を走り、一ヶ所ホテルに寄り客を乗せて、キナバル公園本部へ。

 8:30 弱々しい光が射している。キナバル方向は曇っている。山は見えない。
 公園案内の看板の前では、オーストラリア人のふくよかな女性が「今日キナバルへ登ってきてスゴクよかったvery good!」とうれしそうに話しかける。
 夜明け前に登るから、下山してもこの時間なのだわ〜でもトレッキングのみで登頂はしていないって〜今朝は晴れたよう〜明日はどうかな?

 ここで登山許可のIDパスをもらう。ここから小柄な女性のガイドさんがつく。ガイドを雇うことが義務付けられている。
 方向が違うトレッキング組のワゴン車の送迎を待ち、私たちはまたそのワゴン車に乗り、グングン坂道を登り、登山口ゲートへ。
 9:20 Timpohon登山口ゲート(1867M)をくぐり、ジャングルへ入っていく。

 淡いピンク色のキナバルバルサムが足元に可憐に咲いている。

 ポツポツ雨が降り出したが、ジャングルの木々に覆われているのであまり感じない。

どこまでも 雨季のジャングル 鬱蒼と
 小さな滝を過ぎるとかなりの急勾配になる。階段状にしっかり整備してくれてあるのだが、一段一段がメチャ高くて、足長の外国人の基準なのか・・・これが結局、森林限界まで続くのは私にはきつかったな。
 約30分500m間隔で屋根のあるシェルターがある。雨宿り的にホッとできる。小さなリスがチョロチョロしている。やはり雨が本格的になってきた。でも雨具は暑いので傘で充分。ガイドさんは濡れるのがイヤなのか、靴下をぬいで裸足に薄っぺらいゴム靴。
 ラヤンラヤンハット(2702M)、スタッフ小屋がハーフらしい。ここでツアーからいただいたゆで卵と小さい青リンゴと唐揚げとサンドイッチを食べる。日本語が聞こえる。定年過ぎの4〜5人の団体がいる。

 ハーフを過ぎるとゴロゴロと大きな岩も出てきた。
 ピローサ・シェルター(2960M)で休憩して10歩ほど登ったところで、K原さんが足攣ったと言って、Kさんが湿布薬を差し出す。
 この頃から生あくびがでてくる。少しおかしい。高度障害か?
 急に足がスムーズにでなくなった。体調も元気だし、おかしくはないのだけど、なんとなくだるい感じ。やはり高度障害だわ〜
 今日は海抜0mから登ってきたんだもの、やはり高山病!きっかり3000M過ぎると!人間の身体は素直で正直にできているものだわ〜このツワモノども3人組の身体でも!?
「ゆっくり行こう〜」
 ちょうど森林限界を超えたくらいで、雨で霞んでいる靄の中、小屋があちこち見えてきた。でも私たちの山小屋・ペンダントハットは一番上。もうゆっくりしか歩けなくなっていた。何度も立ち止まって深呼吸しながら、最後は小屋への木の階段を登りきる。

 15:00 かなり頑張っていいペースで歩いてきたつもりだが、いい時間になった。
 中国人4人とオーストラリア人4人と共に、明日のヴィアフェラータのロープワークを受ける。ステンレスの10cmのフックに掛けて外しての繰り返し。ランニングをとって外してというシステムで進んでいく。私たちはすぐOK!の合格点!
 17:00 ラバンラタレストハウス(3272M)という一番大きい小屋へ移動して夕食。雨は土砂降りになってきた。
 バイキングでいろいろいただく。羊肉がおいしい。
 首都クアラルンプールに住んでいるという日本人4名に会う。退職後、暖かいこの土地に移住されたよう。でも寒さを嫌う持病とかが無い限り、昨日のあの排気ガスを思うと、やはりきれいな日本がいいわぁ・・・
 18:00 もう外は真っ暗になっていた。小屋は明るいが、寝室は暗く、二段ベッドになっていた。シャワーを使えたが、風邪を引きそうだったのでやめた。
 明日の準備をしてすぐ就寝。

11月16日(金)雨のちくもり
 雨は夜半から豪雨になった。ザァザァーと屋根をたたく音がすごい。
 洗面所は地階で、外からの雨が流れ込むようになっていて、ザァザァとバケツをひっくり返したように流れ込んでいる。
 2:30 真っ暗の中、ゴソゴソと起き出す。
 昨日と同じパンとコーヒーと大きなウインナーをいただく。
 昨日のガイドさんが迎えに来てくれて、真っ暗の土砂降り雨の中、出発。
 新品の雨具を持ってきたが、風はないので傘も兼用する。
 ヘッドライトの光がずっと上まで続いている。大岩があったり、鉄の階段があったり・・・
 サヤッ・サヤッ小屋(3668M)でのIDパスのチェックポイントを過ぎると、木々が全くなくなり、花崗岩のなだらかな大岩盤の上を道しるべの白い10mmロープに沿って登っていく。暗いけどロープが白いので迷うことはない。
 かすかに夜明けが近づいてきた。
 なんとなく写真で見たような巨大な岩峰が現れた。頂上は近い!雨も少し小止みになってきた。もう登頂して戻ってくる人たちとすれ違う。

 生ぬるい風がスゥーと抜けたかと思ったら、雨が止み、頂上が見えた!
 振り返ると、グレーの雲海が広がっていた。ルートは左に回り込み、最後はかなりの急斜面の大岩を登りきる。
 6:00 TAMAN KINABALU LOW'S PEAK(4095.2M)
 私たちが頂上に立つと、柔らかい風が流れて360度の視界が広がった。待ってくれていたかのように回りの景色が浮かび上がった。

赤道下 雲海の上 立ちにけり

 「わぁ〜!」
 もうこの言葉しかない。こんな偶然があるのかしら〜
 雲海の中に、尖った巨岩が岩峰がツンツン屹立して、とても幽玄な幻想的なまさに絶景が広がっている。Wonderful!
 もう興奮しまくって写真いっぱい撮っているから、時間の過ぎるのも忘れていたようだった。ガイドさんが痺れをきらして待ってくれていた。こういう時は、英語もわからないのがラッキー!
 名残惜しく頂上を後にする。ザラザラ花崗岩の岩盤だから、下りも滑ることは無い。同じように白いロープに沿って下山。

 3776Mまで下山。ここから、ヴィアフェラータ!
 もう雨は上がってしまった。ハーネスとヘルメットを借用する。
 K原さん、Kさん、私、男性ガイドさんの順番。
 スゴイ高度感!ヒェ〜!ここ下るの〜?
 昨日練習した通りに、直径10cm位のフックに前のロープを外して、後ろのロープをかけて、岩盤を順々に下ってゆく。花崗岩でザラザラしているので滑りはしないが、もし滑ると擦り傷は負う。
 フックと同じステンレスの頑丈なステップが階段状に打たれていて、そこを下るのだから確実に下れるのだが、とにかく切り立ったスパッーとした岩壁だから、目が慣れるまではドギマギしてしまった。
 時々、後のガイドさんに「早く行くな」とグッと引っ張られるとビクッとする。
 途中、鉄の太い1本のワイヤーの上を歩くところもあり、こんなとこ行けるのかしら?と思ったが、上部に2本のワイヤーで確保しているので、私でも意外と安全に安心して渡ることができた。超スリリング!

 日本では考えられないアスレチックだが、欧米では流行っているという。そして、ここキナバルのヴィアフェラータは世界一高度の高いところのヴィアフェラータという。

 9:30 300Mほど下ってきて、花崗岩の岩の上で休憩。あ〜、写真を撮る余裕もなかったなぁ〜ホッと気を抜くとコロコロコロとパンを落としてしまった。

 そして、同様にトラバース気味に下って終了。そしてまたジャングル地帯に入り、ペンダントハットに戻った。
 振り返る頂上はもう雲に隠れていた。

熱帯林 聞こえる地球の 息づかい 耳を澄まして 一人佇む

 10:30 ラバンラタレストハウスにて遅い朝食を済ませる。
 11:30 名残惜しく下山開始。また、雨が降り出した。だんだん強くなっていく。
 木々が生い茂っているから直接強い雨は当たらないけど、赤茶色の土の登山道が川になってしまっていて、ただ黙々と下るのみとなる。昨日と同じ段差のある道なので、膝に負担かからないよう注意深く下山した。

 土砂降りの中、8人の日本人登山者とすれ違った。
 「大丈夫よ〜今は土砂降りでもまたすぐ晴れますよ〜」
 下山すると、もう送迎車が待っていてくれて、昨日の公園へ戻った。

 公園内のバルサムカフェにて遅い昼食。同じくバイキングだけど、あまり空腹でないし、無事終わってホッとしたのか、でもやっぱり疲れたぁ〜
 雨季に来て、まぁ雨でも登頂はできるとは思っていたが、こんなに土砂降りの中を歩くのはホント久しぶりだった。そう、数年前に買った(ゴアテックス交換してもらった)新品の雨具がやっと役立ったなんてね!

 このキナバル公園は2000年12月にマレーシア初の世界遺産として登録された。環境保護のため、入山者の上限が決められ、ガイド付きの登山者だけに制限している。自然を守るためには、日本もこのように入山者を制限して、料金を自然保護のために使うようにならいものかなと深く考えさせられた。

 公園で登山証明書を受け取り、今夜のポーリン温泉ホステルへ。
 ポーリン温泉公園内のレストランで夕食。
 開けっ放しなので、小さな虫がいっぱい寄ってきて、フッ!フッ!
 宿にも虫がいっぱい。20cmもの茶色のカエル!イモリ!蛾! 暑いけど、全部締め切って扇風機をかける。
 今夜は私たちだけと聞いていたのに、宿に帰ってくると灯りがついていて、「エッ?」海外へ来て○○サスペンスか!?
 リビングいっぱいに干していた道具を片付け、シャワーを浴びて、長い一日が終わっていった。

11月17日(土)晴れ

見下ろして 天空吊り橋 緑濃く
 午前中はポーリン温泉公園へ散歩。
 ジャングルの中を登っていくと、キャノピー・ウオークという地上41mの樹冠、太い木と木の間に人一人が通れる吊橋が157mにわたって架けてあって、渡ることができる。天空のつり橋!
 少し揺られてもネットで覆ってくれてあるので安心。子供たちがはしゃいでいる。落ちることはないし、安全なのでキャキャッと楽しそう。いつもは仰ぎ見ているジャングルを見下ろし、その感慨に耽ってしまった。

万緑に 木漏れ日落つる 一点に 光たどって 仰ぎ見る空

 帰りにポーリン温泉へ立ち寄る。日本の足湯のような設備になっていて、全部無料。ポーリンとは、この土地の先住民族の言葉で"竹"という意味。第2次世界大戦中に日本軍が堀りあてた露天温泉。源泉も近くにあり、硫黄の匂いが充満している。

 自分でお湯を溜めて個別に足湯する小さな浴槽もある。

ラフレシア その美しさ 恐ろしさ
 11:00 チャーターの車が迎えに来てくれて、コタキナバルへ戻る。
 途中、世界最大の花、ラフレシアが咲いているというので、連れて行ってもらう。少しぬかるんだジャングルの中に、栽培して、順番に咲かせているらしい。やはり世界最大の花は彼らにとって自慢の花らしく、是非是非見てほしいと熱心に薦められた。
 咲くまでに数年かかり、開花はわずか3〜5日。光合成はせず、寄生植物のため葉はない。直径40〜50cmくらいの花?赤色に水玉模様、毒々しく妖艶な姿で咲き誇っていて、可憐さという感じは全くない。虫がいっぱい寄ってきていて、悪臭を放つらしいが、ここまでは臭わなかった。

 途中、道の駅のような屋台街へ寄って、ウロウロ。
 また、道端の露天果物店へも寄る。果物の女王といわれる黒いマンゴスチン、毛むくじゃらのランブータンを一口づついただく。薄甘くてまぁ美味。果物の王様、ドリアンも初めて食べてみる。ん〜?

「テレマカシ〜(ありがとう)」
「サマサマ(どういたしまして)」

 このマレーシア語が口癖のように溢れ出た。言葉に出して感謝する表現は世界共通ですもの。
 現地の案内人たちはみなとても陽気で親切。温和な日本人観光客はいい収入源になるのであろうし、南国らしいおおらかな人懐っこさ気さくさがいつもどんな時も感じられ、とても気持ちよく、自然体で接することができた。

 コタキナバルのホテル(ル メリディアン コタキナバル)まで送っていただき、やっとホッと一息〜  お向かいの民芸品市場へ物色。

 バイキング夕食では食べ過ぎてしまったなぁ〜。

11月18日(日)晴れ
 ゆっくり起きて、バイキング朝食。
 ホテルの前の民芸店で物色して、ホテルに帰って、部屋から望む街並み、山並み、青い海南シナ海をボォーと見ながら、非現実的な時間にどっぷり浸った。

 日本に帰ればまた、慌ただしい時間が待っている。もうどこにも行かなくてもいい、このゆっくり流れる時間が私の最大の贅沢のように感じた。

 チェックアウトの時間までホテルで過ごし、コタキナバル空港へ。

 薄暗い狭い機内で、隣の席のイスラムの女性が手振りで機内食のことを話しかけてくる。英語も通じないようで微笑み返す。でも和やかな時間だった。
 クアラルンプールで乗り換え、関空に向かう。
 飛行機に乗ると、周りの団体さんが突然ワァーという奇声とともに騒ぎ出した。なにかな?と尋ねると、国会衆議院の解散が決まったという。一瞬にして現実に戻された。この機内の数時間で、気持ちチェンジしないと・・・

11月19日(月)くもり

 6:50 関空はやはり寒かった。バタバタと解散し、難波行きのバスから近鉄に乗り無事帰宅した。
 近鉄からの車窓はいつも見慣れているはずの光景。でも山の紅葉がとても美しく目に入ってきた。四季のある日本は美しい!

夏一色 ボルネオ島から 帰国して 日本の錦秋 息のむばかり



 「山は逃げる」
 ずっと以前、T本さんから聞かされた言葉だった。
 天候が荒れている時などは、「山は逃げないから・・・」と言って撤退もしくは断念したりするが、憧れていた山へ行くチャンスはそう運良くは巡ってはこない。
 これまでも、山以外のことでも、私は何度そういうチャンスを逃がしてきたことかと思う。イラチな大阪人に急かされたことが逆に私にはとても幸運だった。
 残りわずかな限られた時間を、大切に有意義に生かしていきたいと改めて思わされていた。

忘れていた 自分の中の something 見つけるために 歩く明日も

(2012.12.1.記)

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