石畳 テンボスマラソン 秋の色

長崎国際マラソンと長崎
2011.11.17.〜20.

11月17日(木)
 18:30 JR茨木駅集合してK原車で、三田により一路西へ。
 S.A.に寄るごとに試食とおみやげ物色。往きからこんなに買ったらこれからどうなるの〜

11月18日(金)雨
 未明よりポツポツ。やはり・・・やがて大降りになり、登山は中止。
 佐世保は米軍基地があるせいかグレーの軍艦停泊中。物々しく厳つい雰囲気が漂う。
 大雨の佐世保の高速道路入口にて、車の中で佐世保バーガーをかぶりつく。880円の特大バーガー半分でおなかいっぱい。

唐国に 近き岬や 鷹渡る
 雲のかかった九十九島を望んで、そして北へ。
 平戸、生月大橋↓から生月島へ。
 大雨警報の中、生月島の北の最先端、大碆断崖↓へ。雨で霞んでいる東シナ海を望む。最近のいろんな事件を思い起こすと、最果てに来たという実感。

 雨風強く、佐世保に戻り、駅前アーケードをぶらぶらして、さかな市場にて夕食。イカの活造りや新鮮な牡蠣をいただき、またまた特大シュークリームを買ってホクホク。

 早々ハウステンボスホテル日航に直行。雨は小止みになり、テンボス内のイルミネーションが美しい。明日は走れるかな?

11月19日(土)くもり 21℃
 一雨の 過ぎたるあとの 今朝の秋
 早朝まだ雨は降っていたが、強者晴れ女登場にて、雨は上がってしまった。エイドが心配なので飴と小さい大福をシャツのポケットに入れる。

 10:00 スタート。雨上がりの石畳は滑りそうで恐々走る。初めてのハウステンボスは紅葉黄葉も彩りを添え、おとぎの国のようだ。やがて米海軍針尾住居街に入り、米軍とその家族も応援してくれる。
 そして西海パールラインの高速道路に入り、トンネルの中で折り返し、緩やかな上り下りが続き、西海橋の大きな橋を越えて、小迎I.C.でUターン。これが2回繰り返すのでややこしい。コレがホントに陸連公認コース?

 パールラインはさすがに雄大な光景に恵まれる。少々戸惑いながらもk7分ペースで走っているので、写真を撮りながら、ルンルン気分。

 でも不安的中。エイドが全く無い。30km過ぎあたりから急に足が出なくなった。シャリバテだわ・・・エイドが全く無いとは聞いていなかった。
 テンボス内で、ホテルのボランティアらしき人達がチーズを用意してくれていたのが唯一。また、給水所でオレンジエイドのペットボトルがあったので、紙コップに入っていると思って覗くと入っていなく、おじさんが「飲みますか?」と聞く。「いただきます」と言ってそのエイドをいただいた。ウソみたいな話。

 5時間00分32秒。スタートまで2分かかったから、−2分。有田焼の陶器のメダルが完走証。8000円という高額な参加費や長崎まで出掛けて期待が大きかっただけに複雑なレースだった。10kmを走ったKさんはつぶやく。「ぼったくりや〜」

 帰って、説明書を見ると、"カステラ、ヤクルト、ウドンを用意しています"とやはり書いてあった。その後、前日の大雨警報により準備が全くできなかったという詫び状が届いた。
 フル先頭集団は先導ミスで1km多く走らされたとか、10kmコースはなんと8.5kmしかなかったとの説明。エエッ?!こんなことが現実にあるんだ〜

 エイドのことはランナーの自己責任・自己管理もあるが、先導ミスや距離不足は論外。エイドも準備できていないのであれば、当日でもいいからハッキリ伝えてほしかった。そういえば救急車が何度も走っていたな・・・
 せっかくの日本初テーマパーク発着の鮮やかな景色や、元気な園児たち、大声だしてる高校生ボランティア、陽気な米軍キャンプ方々の応援はありがたかっただけに、コース説明やメンバー表の冊子の紙一枚も作らない主催者はいったい何を考えているのかと不思議だった。

 ホテル日航は時間外なのに大浴場を開けてくれ、汗を流すことができ、シャワーでアイシングもしっかりできた。ホテルの心遣いにはさすがに一流ホテルと感じた。
 今夜の宿、長崎浦上天主堂前の長崎カトリックセンターへ。夕食に長崎の町へ。坂道を登り下りしてストレッチ、焼き鳥屋さんで完走祝賀会。
グイと飲む 長生きの水 秋深し

11月20日(日)くもり時々晴れ
 今日は34年ぶりの長崎観光。
 東洋一の浦上天主堂、原爆記念館、稲佐山のトルコライス↓

 石造りのめがね橋↓

グラバー園 秋咲く桜の 心ばえ
 グラバー園を巡る頃には南国のごとくポカポカ陽気。貞子の桜も一輪花を開かせていた。今咲かせると春には咲かないというが、なぜかとても印象に残り、心和むひとときだった。

生きてあれば 笑ふことあり 日向ぼこ

 九十九島のほのぼのした夕焼け↑を見て、おみやげにモチッとしたカステラを買って、大皿にてんこ盛りの長崎ちゃんぽんをかぁるくいただいて、21日未明無事帰阪した。ずっと安全運転していただき、どうもありがとうございました。

(2011.11.30.記)

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