カンボジア支援と淀川の河川環境保護のために一人100円募金される第1回有森裕子ハート・オブ・ゴールド支援レース淀川国際ハーフマラソン。山仲間が参加するというので、月1のレース、いい間隔good timingもあってエントリーした。しかし・・・
3月11日14:46、ゆらゆら横揺れがきた。テレビで宮城震度7。やがて津波が船を家を田畑を押し流してゆく光景を映している。まるで褐色の巨大な軟体動物が音もなくゆっくりと町そっくりをさらっていくように。モノクロ写真で見た戦後の焼け野原のような光景。現実とは思えない現実が映し出されていた。
仕事関係で慕ってくれたあの宮城県石巻市鮎川浜の人も地区全体が壊滅的と映像とともに報道され、電話をかけてもプープー、171+2も伝言はありませんの冷たい返事。宮城県のHPから探しても名前は見つからなかった。どこかに避難してくれれば良いが・・・
そう毎日このニュースが流れ、走る気力どころか、なぜか涙があふれ、心身ともなよなよしてしまいそうな日々が続いた。スポーツ行事が中止していく中、このマラソンは東北復興支援として開催されることになり、今できることは義援金だけと思って、参加することを決心した。
もう3月お彼岸だというのに東北は雪が降っているという。こちらも今にも降りだしそうな空模様。気温16℃。
11:45 スタート。速い!みんなスタートダッシュ!流されて走っていくと、1km5分。ダメ!絶対ダメ!と言い聞かせてk6分に必死で戻す。みんなタイムトライアル的に走っている。
河川公園のアップダウンのない道を、野球やサッカーをしているグランドの横を、アスファルトだけでなく芝生や土の上のコースを、ただただ淡々と走る。まるで今の心境を表しているかのように。給水もホースからの水を紙コップに注いでいる。時には間に合わず注ぐのを待つ。水しかない。けれど水はある。と今は思わなければいけないのかしら・・・
第1折返しから14kmのスタート地点に帰ってきたところで初めて唯一のバナナ。3切れを両手につかんだけど、ゲプッとしてくる。ここから第2折返し地点(17.5km地点)までの長いこと。
ただ機械的に感情入れず「ガンバレ」と言うスタッフの声が聞こえる。木津川と同じ河川敷コースだが、コスプレして走っている人もいない。
こんなレースは初めてだった。いつも地元の暖かい声援に囲まれて走っていた。それがうれしくて楽しかった。大震災があってまだ10日目だから、みんなの心が頑なになっているのかしら?有森裕子さんもどこにいるのかわからない。このレースはこういう趣旨であるのだろう。
記録:2時間07分21秒(ネット2:07:13)208位(572人中)
結局k6分のイーブンで終わった。練習でもずっとk6分でしか走っていないのだから、本チャンでこれ以上で走れるわけがない。これでいい。今は普通に走ることがいいんだ。普通に走れるだけでいいんだ。いつも通りに走れるありがたさが身に染みる。
計画停電実施されている東京でのナイターなんて非常識だが、被害のない西日本ではむやみに行事を自粛する必要はなく、いつも通りの生活をすることが被災者を助ける余裕を生む。そう、今回は余裕の裕ちゃん発揮であったはず〜
被災者にできること。参加賞のTシャツ↓を被災者へ送るというので寄付し、地元信金の人の義援金呼びかけに募金。
それから22時頃までいつものように反省会?へ。そう、いつものように楽しい仲間といられることにホッとして。そう、当たり前の暮らしに感謝して。
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