中御所を 灯す下弦の 月白し

中央アルプス・中御所谷
2009.9.12.〜14.

9月12日(土)雨
 天気予報で土曜日は80%の降水確率により、土曜日朝出発、日曜日遡行と決まった。
 10:00 新名神土山S.A.まで車で行く。途中、滋賀県に入ると大雨。甲賀から1号線に出て、甲賀土山I.C.から土山S.A.へ。
 土山S.A.は上下同じS.A.なので、帰りもここから帰れる。このS.A.には高速バス乗り場があり、ちゃんと駐車場もある。
 K原車に乗せてもらって、東名阪から名古屋高速、中央道へ入る。内津P.A.でO谷車の4人と合流して、駒ヶ根へ。

 駒ヶ根I.C.を降りて街道から細い道に入り、K原リーダーが検索してくれたオーガニック料理"月の輪"へ。無農薬、無化学肥料、有機栽培の食材を目指したら、一人前ずつ炊き上げる釜飯になったという。月替わり定食の帆立とじゃがいもとバターの釜飯(1250円)をいただく。古い民家を改装されたような建物に、季節の花にも心配りのある、落ち着いて食事のできるお店だった。
 スーパーに立ち寄り、食材を仕入れて駒ヶ根キャンプセンターのバス、トイレ、寝具、食器、ガスも完備のキャビンへ。雨はだんだん激しくなり、しっかりしたキャビンの中で大助かり。

9月13日(日)晴れ
 雨は未明まで降っていた。
 4:30 昨夜炊いたごはんのおにぎりで朝食を済ませ、キャビンを出る。
 5:00 予約しておいたタクシーでしらび平まで。途中、崖崩れがあり、道路がふさがっていて、「あーダメか〜」と思っていたら、タクシーの運転手さんは落石の石を運び出し始める。「エッ???」我男性陣もヘルメットをかぶって、共に加わる。なんとすぐ片付いてしまった。
 6:00 無事しらび平に着き、装備をつけて出発。
 6:30 石畳の遊歩道を登って鉄梯子を登ると、日暮しの滝が目の前に現れる。

 日暮しの滝は右のカンテ↑を登るのだが、結構シビアそう・・・トップのK原さんはハーケンを打ちながら慎重に登っていく。
 久しぶりの岩登り。かなりムズカシイ・・・日暮しの滝から続く8mの滝↓はルンゼを登る。ここもかなりシビア・・・いきなりのシビアな岩登りを終え、全身からホオォ〜ッと安堵感。

 遡行図とおり、15mの右の支流を登り、左へ草付きを巻く。遡行図では懸垂で下降だったが、草付きをそのまま下降する。

 太陽がサンサンとして気持ちいい沢にでる。こんなにいいお天気の沢は今年初めて! 頭上には赤いロープウェイが行き来している。
 時には大岩を抱きかかえ、大股でよじ登り、また岩と岩をジャンプして、まさに豪快な沢登りっていう醍醐味を味わいながら登っていく。小滝やヌルヌルのナメ滝、お日さまがニコニコしているので、気持ちまで高まっていく。

いくたびも 滝を越えゆく 中御所谷

 でも、現れてくる滝はまさしく勢いよくゴーゴー流れ、その左岸の水際のややこしい岩を登ることになる。K原リーダーはハーケンを打ちながら、ロープをのばす。飛沫がかかるし、ヌルヌルしているし、岩が逆層になっていて、メチャクチャ厳しい。
 帰ってからネットで他のパーティの記録を見ると、ここはスラブ三兄弟といって、岩登りが嫌いなパーティは三兄弟とも右岸を楽勝の高巻きをしている。この高巻きでかなりの高度をかせがなければ、千丈敷カールまでは行けない・・・って思った。
 昨日までの豪雨で水量が増加しているためなのか、豪快な滝が次々現れる。ロープを張らないととても登れそうにない滝ばかり。
「遡行図とはちょっと違うよ〜こんなはずじゃ・・・」と話しながらも、時間は正直に刻々と過ぎてゆく。
 次は滝の横の岩さえ登れず、すごくややこしい草付きを乗っ越す。勿論、K原リーダーがロープをのばしてゆく。やっとこさ、乗っ越したと思ったら、またも大岩に流れている滝が現れる。頭上のロープウェイのケーブルからは離れてしまい、いったいこんな滝がいつまで続くのだろうか、と不安がかすめる。

長月の ホントに長い 沢登り
 ここも左岸の草付きを高巻くことになる。さっきまで暖かかった陽が西へ傾き、大きく影が延びてきた。もう山と空の切れ目まで目を上げないと陽が当たっていない。これでは今日中に上まで行けない。右岸に廃道のエスケープルートがある。どこかでそこへ抜けないと帰れないかもしれない。

 14:20 スゴイ草付の急斜面だった。10m位ガレ場を登り、大岩を右から巻いて大岩の上に出て草付を左へトラバースしていく。草に張り付くように登っていくK原リーダーをしっかり目に焼きつける。
 無線が入り、ロープを持って2番目にO谷さんが登っていく。O谷さんはK原リーダーを追い越し、滝の上の安定した川床に降り立ったようだった。
 次を先に登りたいと言ったN島さんが登っていく。ガレ場でも落石があった。ガレ場を直登してから、その上の大岩は右へ回り込むのだが、下から「右へ回り込んで〜」と大声でアドバイスしても、彼女はなぜか左を直登していった。彼女はガレ場を過ぎたので、私とKさんは登り始めた。私が6〜7m登った頃だった。

「ラクッ」
 叫び声とともに、見上げると50cm大の岩が目の上に落ちてきていて、とっさに右に避けたが、左股関節に当たってしまった。すぐあとパラパラ小石がヘルメットに当たり、同時に一度目よりも少し小さな岩が私の左側を落ちていった。岩が当たったと同時に滑ってしまったが、ロープにタイブロックをかけていたので止まってくれた。一瞬、脳震盪をおこした感じだった。落石を受けて痛みはあったが、足はなんとか動くのでホッとした。
 見下ろすと、私のすぐ下のKさんは、2番目の落石に当たったようだったが、大丈夫な様子だった。
 その下の二人は?と思い、下を見るとY田さんが落石に当たって負傷したようだったが、大丈夫そうに見えた。そして下からの「登っていって」という言葉にN島さんが登リきってから、私も慎重に大岩を右に巻きトラバースして続いた。
 滝の上の川床に全員が揃うまでかなりの時間を要した。落石を避けようとして右手を強打したY田さんはテープングした手が全く使えない感じで、とても痛そうだった。K原リーダーは支点にカラビナを残置して、ラスト川床へ降りた。
 時刻は16時。エスケープしなければならない。10mほど登ると、右岸に抜けれそうなガレ場のルンゼを見つけた。稜線へ続いていそうなルンゼだった。

 16:30 そのガレ場も大きな石の浮石ばかりのようで、一人ずつしか登れない。時間はかかるが、先ほどのことがあるので慎重に慎重にと期した。
 負傷しているY田さんを引き上げるのにラストから2番目を登ったが、悠々と登ってこられたのでホッとした。ガレとルンゼを登り終え、ヤブこぎの途中でロープを引き上げていたら、「登山道に出た」という無線が入った。廃道があるのはわかっていたが、やはり安心感が湧いてきた。

夕迫る 白きショウマの 花揺れて
 登山道といっても、今は使われていない廃道。暗さに目が慣れてきてはいたが、真っ暗の中、ヘッドランプで足元確かめながら下る。
 19:10 沢の音がよく聞こえるところにきて、枝沢を渡るようなところで道がわからなくなる。ここで、K原リーダーはビバーグを決める。携帯電話の圏内であり、緊急連絡先にも、全員が家に連絡できたことも幸いだった。

 廃道の中でも少し広いところ、道は斜めだが、7人横になれるところを探す。ずっと以前に買ったレスキューシートに身をくるみ、足をザックの中に入れて、だんだんずれ落ちる感じだけど、初めてのホントのビバーグ。まぁまぁって感じで横になることができた。
 深夜やはり冷えてくると、落石に当たった腰がジンジンしびれてきて、明日歩けるかな?と不安になったけど、9月だし、雨も降らないし、少々寒くても死ぬことはない。
 三日月が東の空低く現れ、星もキラキラ輝き、遠く町の明かりもよく見える。うつらうつらできた感じだった。レスキューシートはちょっと動くだけでバリバリ音がして、被っていても三日月がよく見える。
静けさや シートの中まで 光る月

9月14日(月)晴れ
 薄明るくなって身支度をして、道がはっきり見える頃に出発。明るくなると、やはりよくわかる。ラスト、日暮しの滝右岸の下りはロープ頼りに下る。1時間ほどで下山できた。
 しらび平でタクシーを呼んで、駐車場へ。相変わらず太陽燦々。お天気がよかったことが下山遅れの中でも幸いなことだった。

丼を はみ出すトンカツ かぶりつき
 朝早くから開いている温泉(こまゆき荘500円)に寄って、名物のソース豚カツをいただく。負傷したY田さんは運転できるほど大丈夫そうだったので、道の駅花の里いいじまにも寄り、それぞれ愛犬へのおみやげ、名産物を購入して帰路に着いた。
 私たちK原車3人は中央道から名古屋高速に入り、名古屋城を外堀より眺めて、無事帰ってまいりました。

残照の まだ美しき 厄日かな
 帰ってから、太腿部の痛みは1週間ほど続き、2週間ほど内出血が続いた。痛みがなかなか引かないので病院へ行こうかと迷いながらも、忙しさもあって行かずに治っていった。
 ただ、Y田さんが骨折していたという情報が入り、メンバーだけの17日の反省会が延期となり、結局28日のYMCCミーティングに公開として、最初の事故分析会議が行われることとなった。私はなぜ最初にオープンで事故分析をおこなうのかよくわからないまま出席した。

 淡々と落石した人から報告だけが行われ、負傷者の意見、メンバーの感想、そしてメンバー以外の会員の感想も発言された。メンバーの心の整理もつかないうちに、まだ事故分析自体がキチンとできていないうちに、メンバー以外、その場にいなかった第三者の客観的でない発言はすごく疑問に思えた。数日間痛みをかかえていた私にはきつい言葉であった。とても情けない場面であった。
 2002年に私が負傷した時はこんな感じではなかった。事故分析よりもなによりも第一に私のケガへの気遣いをしてもらった。現実は心身ともに痛く、その後恐怖も残ったけど、大丈夫よと言える私がいた。今回はどうだったのか?
 その3日後、改めてメンバーだけの反省会が行われた。RCA(Root Cause Analysis)という方式に基づいて、原因、追究、対策と冷静に論議できた。落石した人は欠席のままであったが。これで一応肩の荷が下ろすことができた。そう、最初にメンバーだけの反省会をすべきだった。

 あれから1ヶ月ちょっと。でもこの1ヶ月程続いたストレスはいったいなんなのかしら?自分の器の小ささ?A症候群というものへのいらだち?
 ただ確実に言えることは、事故の総括はしなければならない。人間として必ずしなければならないこと。このことは、7人のメンバー全員は勿論、出席した会員も認識しているはず。
 人間の真価はこういう時にこそ問われる。これ以上自分は何をすべきだったのか? また、何ができたのか?と何度も振り返ってみた。
 事故は起こしてはいけない。これに尽きるのだけど、私自身、反省すべきは反省して、仲間への気遣い・コミュニケーションを大切にして次に繋げてゆきたい。

(2009.10.30.記)

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