頬よせて 交流きらり 春の星☆

第9回視覚障害者全国交流登山西日本集会
2004.3.19.〜21.

 本当に素晴らしい交流登山だった。まさに今、乗りに乗っている岡山こまくさハイキングクラブが精力を集中し、その勢いをみんなが授かり、その勢いのまま駆け抜けていった2日間だった。帰りのバスの中では「たった創立3年半の会がこれほどできるとは・・・」という感想がでていたが、交流に対する思いを結集された結果が当然のごとく発揮され、そして私達にまで感動を与えていただいたことに感謝の思いでいっぱいになった。

3月19日(金)
 19:00 JR大阪駅に集合して三宮駅前からお迎えの"岡山桃太郎バス"に乗る。H・Cかざぐるまの参加者は28名。YMCCからはN川さん、K月さんの参加があって心強い。宿舎である閑谷学校へトイレ休憩もなく、21:30頃到着。
 すぐ代表者会議に入り、主管こまくさハイキングクラブのT島さんより参加者計168名、タイムスケジュール、登山コースの説明を受ける。かざぐるまは体調不良等で3つの登山コースの参加者変更を山行責任者であるF原さんに依頼したが、こんなことゴチャゴチャ申し出ているのはかざぐるまだけであった。変更を快く受け入れてもらえて、誠にありがたいし、誠に申し訳ないことだった。

3月20日(土)くもり
 6:30 起床して、朝食。閑谷学校は青少年の施設であるからね。
 8:45 開会式。こまくさのO崎代表から「春を楽しんで」と心優しい挨拶で和やかな雰囲気に。3つの登山コース別に並んでバスに乗る。
 9:50 和気アルプス縦走コースは時間短縮のため、途中東備振興局でバスを降り、登山口へ。お茶を忘れてきた人がいて、ペットボトルを買いに走る。コースリーダーのF原さんは「時間にかなり余裕があるので焦らなくてもいい」と言ってくれるが・・・ 私は総勢47名の4班ある中の2班で最初はフリー、その後、K村さんと歩く。
 10:20 和気富士(173M)は以前よりかなりブッシュを刈り取ってあるので、階段の上の三角点も確認できた。
 11:50 穂高山で昼食。曇り空の怪しい空模様だが、なんとかもちそうな雰囲気に一枚岩に腰掛けてゆっくり休憩。暑くも寒くもなく視障者にとって快適な登山日和になった。
 まだ3月なのに早々とミツバツツジのピンクが雑木の中で際立っている。マツタケ山といっても今はねぇ・・・ 曇天の中、吉井川が悠々と流れ、振り返ると和気富士から歩いてきた稜線が続いている。「ホーホケキョ」と初音を聞き、見つけられるわけじゃないのに思わず木々を見上げてしまう。
 13:30 神ノ上山(370M)頂上もブッシュが誠に見事に刈り取ってあり、広々と変貌していて眺めがすごくよくなっていた。和気の町、吉井川、JR線、山陽道とずっと見渡せる。ブルーシートで囲んで長方形の板3枚で仮設トイレが2基作られてあって、こまくささんのご努力に頭が下がるばかりだ。こまくさをバックアップしている備前ハイキングクラブ24名の方々がずっと登山道整備と仮設トイレ器材を運び上げてくれて、また終わるとすぐ撤去にかかってくれるとお聞きした。ホントご苦労さまです。
 14:00 ロッククライミングできる鷲の巣岩を左手に岩肌道を下山。地元の消防署員はここで訓練されているという。そして救助活動も。12月の下見でロープを渡したところにはトラロープを張ってくれてあった。
 コバルトブルーの宗堂池に下り立って振り返ると、和気アルプスの稜線が曇天の中に際を描いている。標高は低いが、このように歩いてきた道を振り返り、堪能した喜びをしみじみ感じられるようにセットされている行程が心憎いほどに感じてしまう。
 15:20 予定時間16:00をかなりの余裕を持って、満開の梅林に囲まれながら由加神社に全員無事下山。
 時間的に危ぶまれた和気コースより、83名と人数の多かった熊山コースは遅れ、予定していたネイチャーゲームもできなかったらしい。しかし、閑谷学校周辺散策コースも無事に終え、なによりもそれが一番。
 16:00 宿舎に帰り、入浴を終えて、代表者会議。T島さんから「全員無事下山」の報告。交流会説明と自由懇親会説明。そして次回主管クラブは、2006年東日本集会として富山三つ星山の会、2008年西日本集会として山口ふれあいの会が決まった。これから主催されるクラブからT島さんへどのように進められたのかという質問があり、「お金をかけない手作りでみなさんをもてなそう」という心意気を説明された。
 夕食を終えると、語る会、歌う会、ゲームの3チームに分かれて交流会。ゲームチームに入った私達は小学校の運動会を思い出させるようなお遊戯を汗だくで楽しむ。特に最後の坂本九ちゃんが歌う「レッツ、キッス、頬寄せて♪」と踊るジェンカにはまいったねぇ。
 交流会が終わると、N川さんが私に、
「もうないんや・・・」
「エッ、なにがないの?」
「え〜と、あのね・・・」と手振りでそわそわ。
 さっき山からの帰りにレジ袋がちぎれるくらいに買ったのにもうないの? ここは山の中の青少年施設でコンビニもお店も近くにはない。さて、さて・・・ こまくさの誰かに車を出してもらわないと・・・ と思っているところへgood timingでT島さんが通りかかる。
「すみません。こまくさのどなたかに車お願いできませんか?」
「僕が出すよ。アッシー君するよ」
 えっ、一番忙しいはずのT島さんにアッシー君なんかさせていいのだろうか?と思いながらも、厚かましくお言葉に甘える。こんなこと、かざぐるまだったらとてもとても考えられない。それこそ、フンとされてしまう。YMCCだったら最・最重要課題・・・ でも、主催者側はN川さんの予測以上にちゃんと準備してくれていた。
 宿舎の食堂をお借りして、和やかに自由に懇親会に突入。東京六つ星山の会のM本さんは自家製のドブロクを持参されていた。甘くておいしいけど、危ない、アブナイ。M本さんにお会いするのは何年ぶりだろう・・・
 「最初はまだ六つ星っていう名前がない頃だったね」
 M本さんから教えられたことは山ほどある。あれからもう22年の歳月が流れている。会長も今注目のG藤さんに代わっている。我ながら長いなぁ〜と感じるよ。
 こまくさのみなさんからはいろいろおもてなしを受け、K山さん手作りの鮭、鳥、ベーコン等の燻製も登場してきた。T島さんのお話では作りはじめてくれたのは3週間前からで、そろそろ本番が近づいてきたなと実感されたらしい。O崎代表が挨拶で述べられたように、今回のこの交流の陰にはこのような自主的に行動される人達がいればこそ、成り立ってきたのだと感じさせられた。そんな率直で自主的なエネルギーはどこから生まれてくるのだろうか・・・ また同じ女性として、こまくさの女性陣はホントよくこまめに心遣いされて、よく動かれる。私にはとてもできそうにない。
 いつのまにか時間だけが過ぎてゆき、1階指導室に移り、そして3階の一番隅っこの部屋に移動する。次から次へと、魔法の玉手箱から出てくるように飲み物が登場してくる。飲み物代は一人8,000円の参加費に含まれているのかな? N川さんには往きのバスでは時間的にトイレ休憩できないのでご協力を、とお願いしてしまい、横で見ていられないくらいにションボリされていたので、なぜか妙にホッとしてしまった。
 いつしか日付が変わり、my birthdayの祝杯も受けて、マイボスを送り届けて、やっとこさ部屋へ戻った。

3月21日(日)晴れ
 ここは公共施設なので各担当の清掃がある。タイムスケジュール通りに起きて清掃しようと思っているのに「もう終わったよ」と声がかかる。昨日と同様、早め早めに事が動いている。「まぁ、いいっか」と、部屋の清掃だけ終えて、朝食。
 午前中は、備前焼土ひねり、伊部散策、日生港五味の市散策、の3コースに分かれて、私達は海の匂いに惹かれて日生港へ。
 盆地住まいの私には独特の匂いと雰囲気が珍しい。市場をウロウロしていると、N川さんとN村さんが大きなバケツに入った牡蠣3,000円を3人で分けようと言う。え〜、そんなにもいらないけど、誰かに半分っこしてもらおうっと。Y岸さんに半分、そしてまたまたK村さんに半分分けて、結局250円で13個あった。
 レンジでチンすればいいと教わって食べてみたけど、売り場の生食禁止の札が気にかかって、牡蠣フライにしていただいた。K村さんは3つほどチンしても開かなかったので、食べなかったとTELくれたが、私はその後、体調は悪くない。市場でこまくさの人が熱々の牡蠣フライをごちそうしてくれたのが塩辛かったけど、おいしかったから。N川さんやK月さんはイイダコやアナゴと次から次へと口が動いて食欲旺盛。もう負けそう〜
 閑谷学校に帰り、最後の代表者会議。みなさん口を揃えて「素晴らしい交流だった」と。T島さんからは無事に終えられたことへの協力に感謝の言葉があった。
 閉会式では岡崎代表、そして次回主管の挨拶があり、記念撮影して、こまくさのみなさんの見送りを受けて、帰路についた。 復路のバスの中では、みんなの感想が述べられ、4年前のかざぐるま例会三輪山へ初めて参加された時のT島さんの想い出を語られていたのが、印象的だった。
 私自身、もっと協力しなければいけないのになにもできなくて、交流会計のK山さんにもなにもできなくて・・・ 2回の下見とその時のくだらない意見で堪忍してもらいたい。これから開催される交流登山はきっと今回のこまくさ主管のこの交流登山をお手本として、全国の仲間と頬寄せて?膝を交えた交流ができる集会として続けられていくだろう。そう、地道に根気強く続けていくことが大切なのだと・・・
 以前、落ち込んでいた時、M本さんにアドバイスいただいたことのひとつにこの言葉があった。「継続は力なり」と。

〜さまざまの こと思ひ出す 桜かな〜

第9回交流登山に参加して
 この芭蕉さんの句を聞くたびに「本当にいろんなこと思い出すわぁ」とつぶやくのは私だけではあるまい。人生のさまざまなシーンに桜は登場してくる。小学校の入学シーンの定番は桜だし、新しく何かを始める時期は4月の桜の季節にあたる。アカデミー賞にノミネートされた映画「ラストサムライ」にも、やりすぎると思えるほどの桜が登場していた。
 今年の3月末期は消費税総額表示のため、ノイローゼ気味になってドタバタしていても、桜は数百年の時を経て生まれ変わりながらも、なお当然のように堂々と咲き誇っている。
 そんなこんなでこの原稿を書くのがこの時期になってしまったが、この山行でたまたま偶然にとても懐かしい方に出会い、思い出話に花が咲いた。障害者と全く関わらないで生きていた頃、初めて視覚障害者が堂々と歩いていることに感動した時、そして彼らとともに歩いている人達に出会った時、私もその仲間に自然と入っていった。
 今回の交流登山は第9回。第1回は1989年7月に八ヶ岳山麓の茅ヶ岳で開催された。その頃の私は東京六つ星山の会から交流登山に参加した。大阪H・Cかざぐるまとの2つの会だけの交流登山だった。その時のかざぐるまの印象はあまりよくなくて、スッゴイ山屋さんが視覚障害者を単に連れてきたという印象だった。そのスッゴイ山屋さん達というのが、このYMCCのN川さん達で、大阪らしくどこかいい加減でチャランポランな芸達者な軍団だった。東京六つ星のM本さん達の几帳面なgentlemanとは正反対で、当時の私にはとてもとても近寄りがたい人達だった。かざぐるまの視障者をサポートすると、かなり強引に押されたり引っ張られたりして、もうそれに疲れきってしまって、夜の交流どころではなかった記憶がある。
 そんなかざぐるまが翌年、比良で交流を開催された時は驚き、その時にかざぐるまに入ってみようと思った。でも今、そのかざぐるまを経由して、チャランポランと感じたYMCCに入り、かざぐるまにいた時よりも長く居座ってしまっている。いいのかなぁ?
 先日のYMCC総会で、「8年目に入りました」と言った時、「まだ、そんなの?」と返された時は、「エッ、どういう意味よ???」とかなり戸惑い、また交流の帰り道、かざぐるまのIさんから「品性が悪くなったね」とも言われてしまったし・・・
 そんなことを考え込んでいる間に、もう今年の桜も満開と同時に散り始めている。花の命は短くて・・・?なんだから、さまざまな思い出に浸る時間は桜のように短くていいんだ。若い時の頃のように、几帳面に考えることも少なくなり、「まぁ、いいっか」と自分に言い聞かせて納得させることがかなり多くなった。そしてまた、次のことに相対していていいんだと。でも、自分でも不思議なくらい長く視覚障害者と山に登るというところにいてるんだなぁと感心している。

(2004.4.5. 記)

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