万緑に ため息白く 天仰ぐ

救助隊交流山行・奥穂高岳
2003.6.13.〜16.

6月13日(金)くもり
 22:00 千里中央集合。今年の救助隊山行はたくさん人数が集まり、K原さんにお世話いただいた大型バスに乗り込む。(バス代、飲み物代、入浴代、13,000円)私はT上パーティで、横尾から一日で奥穂高岳へ標高差1500Mを登り降りるヨーロッパ遠征組トレーニングとして参加することになった。
 「明日はもつでぇ・・・」「明後日は確実に朝から雨やから、明日中にデコランで降りてきたらええ・・・」「過去7割はなんとか登っているという確率があるから・・・」屏風登攀組は梅雨前線ちょうどかかってくる明日からのお天気を案じている。私達はどちらかというと、明後日雨が降らなければいいのにと・・・

6月14日(土)くもりのち雨
 5:45 上高地は曇っていたが空は明るかった。小梨の白い花はみんな散ってしまっていて、真っ白な絨毯をひきつめていた。急ぐ屏風組、K原パーティの奥又白組とは裏腹にゆっくり朝食をとって出発。6:40
 明神池、徳沢園を過ぎる頃から、ソワソワしだし歩調がゆっくりとなり、足元の山菜を観賞。でも、きのこは見つからない。
 9:50 横尾でテントを設営して出発。やがて左手に屏風の岩が見えてくる。T4尾根から続く各ルート、新緑がとてもまぶしい。取付きの雪渓は今年も多そう。少し青空が見えている。今日だったら登れるかな?まだヘルメット姿は見えない。
 本谷橋は残雪が多いため、まだ架けられていなかった。シトシト雨が降り出した。涸沢道を少し入ったところから、屏風のコルに向かう急な雪渓を登っていく。滝上さんは雪渓の隙間からの山菜観賞に夢中。ウド、ミヤマメシダ、カンゾウ、ヨブスマソウ・・・
「帰りにすればいいのに・・・」
「もう、降りるから・・・」
「エッ、もう降りるの?」
 13:00 1900Mで今日は下山。先週買ったばかりの高度計付時計でニタニタと確認する。雨は急に強くなってきた。屏風の頭あたりは霞んでいる。
 14:40 横尾に戻ってきて、テント内で夕食のお鍋をつっついていると、M浜パーティ、M田パーティが戻ってこられて、やがてM本パーティも戻ってこられた。雨が降ってきたので、T4尾根2Pで撤退されたという。雪でT4尾根1P隠れていて、シュルンドは2m開いていたそうだ。ホォ〜。
 19:00 私達は明日、3:00出発なので早々就寝。

6月15日(日)くもり時々雨
 2:00 K上さんとO山さんと私のテントでは3:00出発のため、2:00起き。「起きなくては・・・」と思う心理状態のためか、あまり眠れなかった。雨はずっと降り続いている。3時10分前にT上さんのテントをたたくと、「明るくなってからの出発にするから」とのことで、再度横になる。
 5:00 「コーヒー入れたよ」の声で目が覚める。この2時間、あーよく寝た。熟睡だった。
 5:40 雨は上がり、再度出発。屏風組の方はなんだかお疲れの様子で見送ってくれる。左手屏風岩はガスっている。上では雨が降っているんだろうなぁ。
 残雪多い涸沢道をトラバースしながら、一昨年、屏風岩登攀から降りてきた最低コルを見上げる。雪は多いけど、ダケカンバの新緑がすごくまぶしい。「こんな斜面を下ってきたんだ」私は必死で歩いたから振り返って確認する余裕もなかったっけ・・・
 9:00 涸沢ヒュッテのベンチで朝食休憩して、ザイティングラードを少し南よりに登っていく。5・6のコルからK原パーティが下りてくるはずだけど、まだ見えない。ここから見るとすごく急な斜面。雨がポツポツ、奥穂高岳頂上はガスがかかっている。
 11:00 2650M。雨が強くなってきたので、引返すことになる。へたくそなグリセードで涸沢まで20分。たぶん私達が最後だから横尾へ早足で急ぐ。
 14:10 雨が上がった横尾のテンバではツェルトをタープ代わりに宴会が盛り上がっていた。私達も天ぷらやばら寿司を作って輪の中に入る。個性豊かな山菜料理が次から次へと永延と回ってきて、これこそ最高のグ・ル・メ。

6月16日(月)雨のちくもり
 上高地10:00発なのに、なぜか私達のパーティは6:00出発。それじゃ、よそ見しながら歩こう。でもお目当てのマスタケはなかった。上高地近くでシロヌメリイグチ2つ見つけただけだった。やはりきのこの神様がいらっしゃらないと・・・ねぇ?
 上高地から平湯大滝、朴ノ木温泉、板倉ラーメン、高山酒蔵めぐりというK原世話役さんのトコトン精神を満・満喫し、バス中では雨で撤退を余儀なくされたフラストレーションを発散するかのように、歌いまくり、飲みまくり、笑いまくって(こういう道楽トライアスロンもあり?)大阪へ。個性豊か過ぎる仲間達に囲まれ、楽しい時間をどうもありがとうございました。

梅雨という 季節に秘める チャレンジャー
 「どうして屏風に登らへんのや?」A木さんにそう言われた時には、ドキッとして何も答えられなかった。一番痛い心の内を見透かされているようだった。今回のバス中でお会いした時もうつむいてしまったからなぁ。
 この時期に屏風に登ることの意義に、「来年こそ・・・」と秘める気持ちもあるけど、「もうあまり頑張らなくてもいいじゃない」っていう気持ちも同居している。"トラウマ"という心の病気を回復させるためにも、やっぱり前向きに「チャレンジ、チャレンジ!」と思うけど、「難しいことはまた明日考えよう」って、スカーレット・オハラのセリフ???

(2003.6.22. 記)

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