雪解けて ラッキーづくしの 八ヶ岳

H・Cかざぐるま有志山行・八ヶ岳赤岳
2003.4.25.〜28.

プロローグ
 H・CかざぐるまのS々木さんから冬の赤岳へ行くお誘いを受けたのが確か昨夏だったと思う。視覚障害者のサポートにはかなりのブランクと同時に遠慮のような感覚があり、また3000M級の雪山でのサポートにかなり躊躇した。でも昨秋、小豆島マラソンの時、S原さんとの会話でN川さんの参加表明に驚きと共に「やったるでぇ・・・」のような前向きな姿勢に心動かされて、私も参加表明したのだった。

 1月21日に打合せ会が行なわれた。リーダーであるS原さんは集まった仲間達7名に2泊3日で八ヶ岳のどこへ行きたいかを聞いていくと、
「赤岳と硫黄岳」と。
「エッ、そんなムチャな・・・」と思っていたら、
「赤岳だけにしようや」と、N川さんがおっしゃってホッと思っているやいなや、
「アイゼンというのは凶器にもなるから充分に気をつけなければならない」
 N川さんの口調がいつもと違って厳しかった。一瞬なにかあったのかなと感じた。
「犯人は私です」とかざぐるまのメンバーが手を上げて、一昨日かざぐるまの個人山行でMさんがケガした時の状況説明を淡々とするのだが、大切な言葉のない説明がとても奇妙に思えた。結局この時感じた違和感が山行当日まで尾を引っ張ってしまったのだが・・・

 2月11日に伊吹山にてトレーニング山行が行なわれた。あいにくの雨で雪は解け、グサグサの雪の中でのトレーニングだった。雪に慣れるという意味では効果もあったのだろうが、場所変更なり、蓬莱峡での登下降なりに臨機応変にしてほしかったと思う。
 そんなこんなで山行計画書が届いてもモチベーションが全く高まらず、イメージトレーニングに四苦八苦したが、L.S原健、S々木一幸(全盲)、N村昇(弱視)、I村佑子、N川好治、U田裕子の計6名で八ヶ岳地蔵尾根〜赤岳〜文三郎尾根登山が実施されることになった。

4月25日(金)雨
 22:54 雨上がりのJR京都駅八条口より甲府行きの近鉄夜行バスに乗る。3列のゆったりとしたバスだが、すぐ消灯となる。そしてバスは激しく降る雨に向かって進んでいく。

4月26日(土)雨のち晴れ
 6:22 韮崎で降りて茅野へJRで移動する頃には雨は小康状態になる。駅前の大きな観音さんと足元のツツジが春本番を告げている。
 8:30 茅野駅にて1時間ほど待って、美濃戸口へのバスに乗る。その頃には雨は上がり、お日様さえ顔を出してくれた。ホッ・・・
 9:40 美濃戸口よりカラマツと白樺林の中、ムンムンして全く雪のない林道を歩く。
 10:40 美濃戸山荘で野沢菜漬とお茶をいただき、北沢に入る。影の部分は雪が氷っていて、アイゼンを装着。視障者がアイゼンを装着すると前のサポーターの足元を傷つける可能性があるので、ストックをサポーターのザックの下部につけて距離を開け、後ろのサポーターにアドバイスされて歩くことになる。
 12:00 川沿いの道の入ると、昨日までの豪雨のためか濁流がゴーゴー流れている。濁流に足をさらわれないように、足を置く石をストックで指示したり、お助けシュリンゲを出したり、ザイルを張ったり、確実に安全にサポートする。川に架かる橋は数本の丸太橋1ヶ所、他は鉄の枠の中に板をひいてある幅1mの橋なので安心。S々木さんの以前の記憶では橋は8つだっだそうだが、10の橋を渡る。
 だんだんグサグサの雪が現れ、目が見える者は選んで歩けるが、視障者は雪の穴ポコに足をとられて大汗状態。赤岳鉱泉小屋まではルンルンだと思っていたが、思わぬ濁流と残雪にかなりの苦労を強いられた。
 15:10 山にかかっていた雲も晴れ、雪の全くついていない大同心の巨岩が、そして赤岳も赤っぽく現れた。コースタイムの2倍の時間を要して、やっと赤岳鉱泉小屋に到着。
 赤岳鉱泉小屋はりっぱな小屋で、最近増築改築されたのかきれいな絨毯のひいてある12畳位の部屋に通された。一泊二食付きで8,000円、テント場代も1,000円となっている。環境的にトイレを水洗トイレ(水は流れなかった)に改装したためと説明している。
 食堂で贅沢にも生ビールで「お疲れさま」の乾杯をする。夕食はなんと牛ステーキで家でも食べない豪華グルメに目が白黒になる。約20年ぶりの山小屋泊りにバブル時代を飛び越えてきたことを思い知らされる。

4月27日(日)くもりのち晴れ
 5:30 小屋の遅い朝食の時間にあわせて起床。
 6:00 焼き魚に味噌汁、納豆とまるで民宿のような朝食。テレビが今日の晴天を予報している。
 7:25 アイゼンを装着して行者小屋をめざして、樹林帯の中を歩く。道の雪は尾根状になっていて平均台の上をモデル歩調で歩かなければ右や左の溝状のところにはまってしまう。晴眼者の真後ろを歩いているつもりでもS々木さんやN村さんはついつい溝状のところにズボッとはまる。朝一番から体力消耗が激しい。
 8:30 行者小屋から地蔵尾根に入る。
「ピピピピィ〜」と小鳥の囀りにホッ。
「ミソサザイや」とN川さんが教えてくれる。
「おいしそうな名前だねぇ・・・」
「あっ、あんなところに鳥の巣・・・」
「ん〜、コメツガ」とN川さん。
「N川さんがおっしゃると鳥の名前に聞こえるね」
 急勾配になってきたのでザイルを出す。全体の先導をU田、N村さんのサポートをS原さん、S々木さんのサポートをI村さん、その後ろでN川さんが確保してコンテで歩く。昨夜のミーティング通り。視障者2人に晴眼者4人だからこの方法がベストだろう。
 まっすぐな上りよりトラバースの方を警戒して、鎖場のトラバースでザイルをセット。カラビナをかけて、地肌と雪の境目で足を踏み外さないようにサポート。
 稜線近く、雪が中途半端についている鉄の梯子を登らずに右側の雪の急斜面を登る。後からのパーティに道を譲ったり、下ってくる人に避けてもらったりして登っていく。このルートは下りでは使えないな・・・
 10:15 最近供えられたようなお地蔵様のある稜線に出る。赤茶色の地肌が見えていて、もう雪は全くないのでアイゼンを外して鉄の階段を登っていく。時々現れる残雪に注意して登っていく。やがて雲も切れ、青空が現れ、赤岳や阿弥陀岳も姿を現してくれた。イワヒバリがすぐ傍までやってきて人懐っこく鳴くので、暫く見惚れてしまう。
 11:15 またまたお地蔵様に出会って、赤岳展望荘に到着。少し春霞だが、全く雪のない硫黄岳、横岳も見渡せる。
 12:30 赤岳(2899M)到着。三角点と赤岳山神社を拝む。360度の展望・・・ でも昨日同様、2倍の時間を要した。下りはもっと時間がかかるだろうから、すぐ出発。
 下り始めは雪と岩のミックスのトラバースなので、確保してザイルをいっぱいまで延ばす。リードS原、I村、フォローN川、確保U田。
 急なガレ場となり、慎重に下る。リードS原、N村の確保U田、S々木のサポートI村、確保N川。N村さんは弱視で明るいところは見えているらしいが、歩き方がとても不安定。雪面で滑られたら、コンテでは止められないので、確保できる対物のあるところでザイルを延ばし確保体制に入る。
 14:30 文三郎尾根分岐。ハイマツの後ろにそびえる残雪を抱いた阿弥陀岳がすごくりっぱ。振り返ると赤っぽい赤岳にも圧倒される。コンティニュアスビレイをN川さんより復習して、雪の全くない道を下る。
 ハイマツとシャクナゲの中に、ダケカンバが雪の重さにも負けずにグネグネになりながら上に上に伸びようとしている。
「まるでかざぐるまの私みたいや・・・5人の熟女の毒舌にも負けずに・・・」とS々木さん。
「エッ??? プッ・・・」
「熟女に囲まれて楽しんでいるんや・・・」とN村さん。
 アミ目状の鉄の階段となり、雪に覆われた急斜面になるとスタカットで確保して2ピッチ下降。樹林帯に入り行者小屋近く傾斜が緩く広い雪面に出ると、視障者も一人で自由に歩くことができる。
「エッ、だまされへんで・・・」
「ホントだってば・・・やってみようよ」
 足の向くままに好き勝手に歩いて転んで、ようやく緊張感が解れ、雪と戯れられたひとときだった。
 15:50 行者小屋を素通りして赤岳鉱泉小屋へ急ぐ。雪は踏みしめられて朝よりかなり歩きやすくなっているが、それでもズボッと雪穴にはまって苦労する。視障者の後からシュリンゲで確保しながら下る。N村の確保S原、S々木の確保N川。
 17:10 赤岳鉱泉小屋着。出発が遅かったので、デコランをつけて帰ることになるかなと危惧したが、無事明るいうちに帰ってこられてホッとした。雪がなかったのでとてもラッキーだった。
 すぐ夕食となり、今夜はハンバーグにクリームシチュー。クリームシチューは何杯でもお代わり自由なので具いっぱいにお代わりしてお腹いっぱいになって、気持ちもお腹も充実した気分になった。
 夕焼けが赤岳を染めている。赤岳がより赤岳色を色濃くしている。春山とは思えないような岩峰が個性豊かに並んでいる。小屋のご主人がこんなシチュエーションは稀なので、充分観賞してほしいと自慢される。だから"赤岳"なのかな・・・
 昨夜と同じ部屋に戻って、皆それぞれの嗜好品が出てくる。S々木さんはずっと急な下りが続いた影響で腰痛だという。私も少し膝が痛いのでN村さんに湿布薬をいただく。N川さんにも差し出したら「酒で結構」だって???
 歯磨きに外へ出ると、頭上に北斗七星をはじめ満天の星がきらめいている。フゥ〜と大きく息をしてみて、昨日今日の晴天、雪のないルート、そしてチームワーク、与えられた幸運にただタダ感謝!

4月28日(月)晴れ 気温0℃
 6:00 小屋の朝食に合わせて準備する。
 7:20 アイゼンを装着して出発。昨日同様、視障者の後ろからシュリンゲで確保しながら下る。N村の確保S原、S々木の確保N川。北沢ルートも一昨日よりかなり歩きやすくなっている。濁流も嘘のように引いていて、ザイルを渡した流れ自体がなくなっていた。 対岸から丸々太った大きなカモシカが草を食べながらこちらを伺っている。モスグリーンや黒いネクタイの鳥がすぐ傍まで飛んできてにこやかに囀っている。でも、八ヶ岳にはフキノトウやきのこ類は全くないんだね。
 10:30 美濃戸山荘ではまたお漬物とお茶を振る舞っていただき、昨夜の残りの飲み物に舌鼓を打つ。カラマツの間から雪の少し抱いた阿弥陀岳がうかがえる。
 11:45 美濃戸口着。八ヶ岳山荘で入浴を済ませて、「お疲れさま」の乾杯をして、すっかり晴れ上がっている青空を見上げて深呼吸・・・ 
 会費35,000円でI村さんにすべて手配していただいて、茅野駅までバス、塩尻まで"特急あずさ"、京都まで"特急しなの"の直通JRに乗って、頬を筋肉痛させて帰ってまいりました。ご参加のみなさま、お身体もお口も内臓もたいへんお疲れさまでございました。

エピローグ
 元来、かざぐるまのサポートにザイルワークが必要だと感じて、YMCCに入り中級登山学校に入ったのだから、そして今回学んできたことを発揮できたのだから・・・と心のどこかでそういう思いもある。が、心のどこかで6年の時間の大きさも感じていた。
 現実の山行は雪がなくて幸いだったという結果だった。残雪がもっと多かったら、赤岳頂上小屋でもう一泊か、または断念であっただろう。ベース山行だからテント泊を提案したこともあったが、無理な提案であった。全盲の視障者が雪の剣岳へ登っている現実もあるが、かなりのトレーニングをされているのだろうと想像する。でも、かざぐるまの中で山への情熱を大きく持っている彼らに対して、今回の山行の教訓を糧に今後ますます意欲的に山へ臨まれることを期待したいと思う。
 また、障害者登山も聴覚障害者が中級登山学校で学んでいることを聞き、聴障と視障とは違うだろうが、可能性に挑戦できる場所が増えていくことにはとてもうれしい気持ちでいる。そういう時代に入ってきたという実感と共に・・・

 そして今回の山行にはいろいろな方々にご心配かけてしまいましたが、全般的に反省すべきところは反省し、"次"というか"明日"へ繋げていければいいなと思っています。またその時にはアドバイスだけでなく、現実に参加してほしいというのが、私の一番の願いです。

(2003.5.7.記)

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