かぎろひに 「走」の一文字 冴え返る

大宇陀町かぎろひマラソン
2003.3.8.〜9.

 昨年納山祭、O野さんが「走」と太く大きく力強く書かれたパンフを持ってこられた。
「この字の入った長袖Tシャツがもらえるんや・・・」と、マラソン案内。
 でも、日時は3月9日、連盟総会の日のため、「行けないなぁ・・・」
 そして、今年新年会。夕方近く、皆かなりいい気分の頃におじゃまして、「おめでとうございます」も言い終わらぬうちに、
「Uッチャン、総会はY下さんが代わってくれるって、かぎろひ行こうや・・・」
「えぇよ、えぇよ、行っといで・・・」
「じゃぁ、お言葉に甘えて、A美ちゃん、どうもありがとう」
 "かぎろひ"と聞いて、吉野の方かなと思っていたら、そんな山奥ではなく、大宇陀町らしい。O野さん超お薦めのマラソン大会らしい。いつのまにか参加人数が多くなっていて、あちこちから、「負けへんでぇ〜」とニタニタして注がれる視線を感じてしまう。「フン、私も負けへんでぇ〜」
 と言ってはみたものの内心、「マラソンは小豆島だけで充分」と思っていたのに、「マラソンは山のほんのトレーニング」と思っていただけなのに、あ〜あ・・・
 この寒空の下のトレーニングはきついなぁ・・・と始めたら、しっかり風邪をひいてしまって、1月の五竜岳はハスキーボイスのまま参加。でも、Tさんは1月100km走ったらしくて、みんな頑張っている。でも、オリーブは暑いし、記録を狙うとすればいいチャンスかもしれない、と思い直してファイト!

3月8日(土)くもり時々雪
 一時暖かくなりかけていたのに、寒の戻りがやってきた。三寒四温は例年のことだが、まさにドンピシャリと。でも、あまりにも寒すぎるんじゃないの? それにところは「ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かえりみすれば 月かたぶきぬ」と柿本人麻呂が万葉集で詠んだところ。寒さ厳しいところだからこそ雄大な夜明けの"かぎろひ"現象が素晴らしかったのだろうけどなぁ・・・
 17:20 他の仲間達と遅れて車で大宇陀に入る。少し距離感覚を勘違いしていて、O野さんには「道の駅」で待っていただき、たいへん申し訳なかった。
 O野さんの元上司M下さんのお屋敷に案内される。柱も梁もすごく太くて昔からの伝統あるりっぱなお屋敷でキョロキョロ見上げて見回してしまった。そんなお屋敷の中で、仲間達はいつものように銀マットを敷いてガスコンロでお鍋をしている。
 お昼から来て買出ししてくれた鯛や貝入りお鍋をつっついて、やがてギターとともに歌が始まる。「明日があるから・・・」と言いながら、20時までが22時になってしまったけど、「鍛錬を 酒で無にする ハーフマラソン」にならぬよう就寝。

のミあけて 花生にせん 二升樽  芭蕉

3月9日(日)晴れ時々雪 気温3℃
 6:00 畳の上で羽毛のシュラフという贅沢な8時間の熟睡だった。朝食を終えてお掃除して、母屋のアトリエでM下さんの水墨画を見せてもらう。この大宇陀町とイメージが合って引き込まれていきそう・・・ 「お世話になりありがとうございました」と挨拶を済ませて、マラソン会場へ向かう。
 小豆島タートルと同じ、長袖+軍手+半ジャージでいいかなと思っていたが、雪がチラチラしてきて、ランシャツを重ね着する。仲間達は長いトレパンをはいている。持ってこなかったのだから、仕方ないっか・・・
 いただいたパンフの高低図を見ると、エッ、すごい上り下りがある。これでは1時間40分台は無理だ。そうだよね、かぎろひの"丘"だもんね・・・
 10:35 城下町の古い町並みの細い道に20分程並んで待って、スタート。すぐ町並みを外れて寒風吹きすさぶ田園地帯に飛び出す。最初から上り坂が続く。「もう少し上りが続くけど頑張って・・・」と地元の人が手をたたいて声援してくれる。前半からきついなぁ、それに風花がチラチラ、でも田園風景の薄茶色に梅?桃?の白やピンクがやさしい。
 1kgのダイエッットのせいか、そう思う気のせいか身体が軽い。でも、吹きすさぶ風にはこのダイエットは厳しいが、気持ちの高揚もあるせいか、順調に走っているのがわかる。折返し地点ではカメラでゼッケンを確認していて、上着を着ている人にナンバーが見えるように注意している。
 10km地点。52分。マズイ、このままだと1時間50分は切れない。あっ、K原さんに追い越された。中級登山学校の「攀」と書かれたコバルトブルーのTシャツがよく目立つ。初めての給水所に来て、スポーツドリンクを一口いただくと、数メートル先にまだK原さんが走っているのが見える。少しホッとする。とにかくついていかないと50分は切れない。
 さっきまでの足首の痛みは感じなくなり、やがてK原さんと並んで走るようになる。城下町の町並みに帰ってきて、「薬の館」前で赤と青のラガーシャツのT関さんに追いつくが、すぐまた追い越された。また町並みを外れて突風が吹く急坂の上り下りを走る。膝小僧は真っ赤になっている。
 ラスト、また町並みに帰ってきて、「あと1km」。歩き出している人もいる。気持ちが萎えてきそうだけど、「こんなチャンスは二度とないかもしれない」と言い聞かせて、ラストスパート! T関さんを追い越して、黒門ゲートにゴール。
 すぐ、高校生らしき女の子が胸のチップを外しにきてくれた。思わずフ〜と寄りかかってしまった。なんとか記録所に行き、完走証をいただく。
 1時間47分09秒。憧れの40分台で完走できた。「6位までを表彰します」とのアナウンス。エッ、私は7位。グヤジ〜イ・・・
 ゴールされたT関さんやK原さんと健闘を称え合う。汗をかいて寒いせいか、もう立っている体力も残っていなくて、しんどくて更衣室へ行って座り込んだ。
 着替えをして、ぜんざいをお代わりして、体育館で「おつかれさま」の乾杯をする。とても寒い一日だった。M本さんは「小豆島でもこんな寒いことはなかった」と。I信先生は「指が凍傷になった」と。でも仲間達は走り終えた後でも元気ハツラツだ。私はしっかり風邪を引いてしまって、地力の無さを痛感してしまう。
 名阪針インターの賑やかな道の駅で食事を済ませて解散となり、まだ風花の舞う中、帰路についた。

淡雪に 駆けゆく思い 1万ボルト
 歴史ある小さな城下町のほのぼのとしたマラソン大会だった。大きな会社の後援もなく、町民と地元学生の手作りとボランティアの心遣いが感じられた。そんな気持ちには反して、主催者もこんな寒い日は初めてとおっしゃっていたが、寒さ厳しい大会だった。
 友人から「毎晩、どこへ行っているの?もう〜」と言われるくらい、この半年間、毎日の日課のようによく走った。N川さんのランニング距離には遠く及ばないが、自分ではそう思う。
 この大会の前々日、K原さんより「山崎さつきマラソンの申し込みを忘れずに」というメールをいただいた。申し込み用紙もないので、FAXで送ってもらって、速達でエントリーしてしまった。1km5分で走るクセをつけるようアドバイスいただいたが、5km27分を切ったことはなかった。でも、良きライバルがいてくれたおかげで、どうにか目標タイムを達成できた。「思い立ったら吉日」「今がチャンス」と思って、辛抱強く記録に挑戦したいと思う。雪の舞うM下さんの庭の片隅に咲いていた小さな福寿草のごとく・・・

(2003.3.14.記)

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