さまさまの ブナ林おもひ あまかざり

H・Cかざぐるま 交流登山
2000.8.25.〜27.

"あまかざり"という言葉の響き
 ずっと以前、♪頭を紅葉の上に出し・・・♪の雨飾山のポスターを見て、すごく印象深く記憶に残っていた。"あまかざり"という名前にも日本海側の持つ独特の愁色を感じていた。そうして、いつか秋に、是非、秋にこの山に登ろうと思っていた。
 が、そんなチャンスが訪れたのは、夏だった。H・Cかざぐるまにおいて、新潟あいゆー山の会との交流登山が企画された。設立されたばかりのあいゆー山の会の熱い気持ちを反映したのか、この夏は例年になく暑い夏で、処暑が過ぎてもまったく涼しくならないという異常なほど暑い夏だった。

8月25日
 かざぐるまの山行に参加するのは、約1年ぶりになるが、上野から、久しぶりに視障のI戸さんと晴眼のY田さんと一緒にJR吹田駅に向かう。
 かざぐるまのI上さんは、阪急バスの運転手さんで、安くチャーターしていただいた小型バスに乗り込む。(会費1泊3食付で18500円)

8月26日
 途中、糸魚川郊外で仮眠をとる。きれいな?朝焼けと生温かい風にイヤーな予感・・・平岩駐車場で、新潟あいゆー山の会、富山三つ星山の会、糸魚川の岳人の方々と合流する。
 今回の交流は、雨飾山コースと大渚山コースがあり、私達は旧信仰登山道という雨飾山の前沢ルートを登るのだが、登山口までの林道4kmのアルバイトがしんどいため、登山口まで車が入れるように、許可を取ってくださっていた。が、まあ、ガタン、ゴトン、身体が左右前後ろにゆらり、ゆらぁり。ドライバーはすごく神経を遣われたことだろう。
 8:20(920m) 前沢の登山口で装備の点検をして、出発。雨飾では、毎日のように夕立があるらしく、茸もノコノキ・・・(だが、ただ一つスギヒラタケを除いて、ほとんどがツキヨタケであった。)
 8:50 前沢を渡り、湧き水がシャワーのように噴き出していて、大きな岩がドンとあるところに糸魚川の岳人の方がロープを張ってくれている。
 落ち葉のフカフカ道になってきたなと、仰ぎ見ると、樹齢何百年という越後美人のような素晴らしいブナ林に囲まれている。このようなブナ林に出会ったのは、白神山地以来のような気がする。
 9:30(1100m) 樹林帯の中の湧き水をよばれて、ホッと一息。
 かざぐるまのパーティは、視障者1人に晴眼者10人というパーティで、サポートには、余裕があるのだが、とにかく暑い。T本さんからはかざぐるまにとって、体力ギリギリのハードコースと聞かされ、万全のサポート体制で、万一の場合にも対処できるよう装備等に指示があったのだが、この暑さで参ってしまいそう・・・でも、「火事場の馬鹿力を信じよう」救助隊のテキストも頭に入れたきたのだから・・・
 11:15(1600m) この暑さもあって、皆かなりバテてきたので、T本さんは、この地点にデポして、空身で頂上を目指す指示を出される。私は、この山は初めてなので、「ザイル等装備類置いていって大丈夫なのかしら・・・」と思いながら、内心ホッ。
 やがて、熊笹がハイマツにかわり、涼風が渡る。展望が開けても、ガスで見晴らし効かず。問題の頂上付近のガレ場はフィックスロープを張ることなく無事に登られたようだ。
 12:20(1963m) 長野県側の頂上と新潟県側の頂上と二つあるのが微笑ましい。私達は勿論、新潟県側の頂上で記念撮影。チングルマはもう穂にかわり、少しだけ、マツムシソウやウスユキソウの花が見られる。
 12:45 下りは、視障のS々木君の腰にシュリンゲをつけ、転倒しないように、後ろの人はサポートして一気に下る。ガレ場を終えると、落ち葉のフカフカ道なので、足への負担は少ないだろうが、かなり荒っぽい。という私も、以前タイムを短縮するために経験があるが、誉められるサポートではない。それに、このサポート方法は前をサポートする人に視障者の体重がかなりかかってしまい、負担になるし、晴眼者が視障者の目の代わりをして山を歩くというベースからは離れている。
 13:30 デポしたところまでアッという間。
 14:35 湧き水でコーヒータイム。
 15:00 リーダーの注意があり、慎重に前沢も渡って、下山。15:50
 振り返ると、頂上付近はもうガスに覆われ、雨が降っている様子。登る前は12:00タイムリミットとして引き返すことが考えられていたが、T本さんの軽量化という判断でかざぐるま全員が頂上に立つことができた。体力的にむずかしい人もいらしたようだが、結局はその人達も含めて、臨機応変にパーティのことを考え、判断できるって素晴らしいなぁと感心した。
 新潟あいゆー山の会の車に便乗させてもらって、今夜の宿の「レインボーヒルズ白馬」へ向かう。近くの若栗温泉で汗を流す。
 交流会は、新鮮なお魚と山盛りのカニのごちそう。カニを食べるのに、一生懸命になりすぎて、お話はあまり耳に入らなかったっけ。
 2次会、3次会とお国自慢の唄や踊りがでて、貸切の宿にしてもらってよかったよネ。

8月27日
 地元の岳人が密かに愛しているという金山登山も、塩の道散策も中止となり、ゆっくりコーヒータイムをとり、朝食を終えて、帰路についたのでした。

大阪の環境と新潟の環境
 中級の時のK畑さんの言葉を思い出す。
「これからアルパインをやめて、ハイキングや縦走に変わっていっても、中級で得たことは決して無駄にはならない。どこかで生かされていくだろう。」
 いろんなことを考えて考えて臨んだ山行だった。登っている時もずっと頭の中が回転しまくっていた。でもそういう目でパーティを見ることができて嬉しかった。
「僕達は田舎者でこれからいろいろ勉強を・・・」
 と、交流会であいゆー山の会の人がおっしゃった時、今の私の恵まれている環境に感謝した。なんでもないほんの些細なことに「ホォー」と感心してくれる。大阪労山、YMCCってスゴイんだなぁと。
 大阪労山、YMCCというところにいて、たとえ望まなくてもいろんな情報が瞬時に入ってくる。今まで疑問に感じなかったことも、感じることができる。感じさえすれば勉強すればいい。いろんなことを知ることの怖さを憂うこともあるが、いろんなことを知って、いろんなことを見ることもいいなあと思えた山行だった。

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